セルロイドサロン
第222回
松尾 和彦
中山晋平

 中山晋平という作曲家をご存知でしょうか。有名な人なので名前ぐらいは御存じのことと思います。では、どのような曲を作ってどのような人生を送ったのでしょうか。今回は中山晋平について見ていくことといたします。
 先ず人生についてですが、1887年(明治二十年)3月22日に生まれて1952年(昭和二十七年)12月30日に65歳で没しています。生誕の地である長野県中野市には記念館もあります。生家は名主、村長を出すほどの家でしたが父親の急死により落魄して代用教員となります。その頃から歌が好きだったので唱歌先生と呼ばれるほどでした。
 後に東京音楽学校を卒業して小学校の先生を務める傍ら作曲を行っていたのですが、1914年(大正三年)に「カチューシャの歌(カチューシャかわいや わかれのつらさ)」を作曲したことによって有名になります。翌年には「ゴンドラの唄(命短し恋せよ乙女)」も有名になります。1920年(大正9年)からは、野口雨情、北原白秋、西條八十らの詞に曲をつけて次々に童謡を発表します。昭和になってからも次々にヒット曲を出しますが、中でも「東京行進曲(昔恋しい銀座の柳)」はレコード売り上げ25万枚という大ヒット曲となります。
 こうして生涯に1770とも3000とも言われる曲を作ったのですが、戦後はほとんど作曲していません。そしてゴンドラの歌が劇中で歌われる志村喬主演の「生きる」を見た翌日に倒れて、退院することなく65歳で没しました。
 中山晋平作の曲は、ここまで取り上げたものの他に以下のようなものがあります。

・シャボン玉:シャボン玉飛んだ屋根まで飛んだ
・てるてる坊主:てるてる坊主てる坊主明日天気にしておくれ
・雨降りお月さん:雨降りお月さん雲の蔭
・あの町この町:あの町この町日が暮れる
・背比べ:柱の傷は一昨年の五月五日の
・あがり目さがり目:あがり目さがり目ぐるっと回ってニャンコの目
・船頭小唄:俺は河原の枯れすすき
・波浮の港:磯の鵜の鳥日暮れにゃ帰る
・東京音頭:踊り踊るならちょいと東京音頭
・天竜下れば:天竜下れば飛沫がかかる

 どれをとっても一度や二度は歌ったり聞いたりしたことがあるものばかりですね。で、意外な曲も作っています。それは「キューピー・ピーちゃん(どんと波どんと来てどんと帰る ちゃっぷ波ちゃっぷ来てちゃっぷ帰る)」です。よく「青い眼の人形(青い眼をしたお人形は)」が、人形使節のことを歌った歌だと言われますが、歌が作られたのは1921年(大正十年)で、人形が贈られたのは1927年(昭和二年)で歌のほうが早かったのです。そして面白いことに最初は「青い目の人形」でした。それが何時の間にか「青い眼の人形」となりました。それでアメリカから日本に贈られた友情人形は「青い目の人形」です。少しややこしいですね。
 この歌は残念ながら中山晋平ではなくて本居長世の曲です。詞は野口雨情でキューピー人形から発想を得て作ったものです。その当時のことですからセルロイド人形であったとみていいでしょう。
 で、キューピー・ピーちゃんですが、こちらの方こそ人形使節の話を受けて作られたものです。この歌には振りがついていて発表当時の雑誌には写真付きで解説していますが、現在ではほとんど忘れられています。
 作曲家も数ある中において中山晋平ほど親しまれている人はまれでしょう。そしてその歌はこれからも歌い続けられるものと思います。


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