セルロイドサロン
第19回
松尾 和彦
文学に見られるセルロイド

 彼は冷たく非人間的な「セルロイド」や「ブリキ」のような人間として、まるで半分死んでいる状態のまま生き続けなければいけない。

 この文章は「チャタレイ夫人の恋人」よりの抜粋です。D.H.ロレンスの作ですが、日本では裁判のほうばかりが有名になった文学作品として知られています。

 チャタレイ夫人の夫クリフォード・チャタレイは戦争で負傷したのが原因で下半身不随となりました。そのために非人間的な「セルロイド」や「ブリキ」のような人間として生きなければならなくなったのです。そこへ若くて活動的な馬屋番の青年が現れます。そして二人が不倫関係となることから猥褻性が問われる裁判が起きることとなりました。

 しかしこの作品の真の目的はもちろんいたずらに性欲を刺激することではなく、夫以上に非人間的な生活を送らなければいけなくなった夫人の苦悩を描くものでした。

 しかし非人間的なものの代表として「セルロイド」や「ブリキ」が使われていたことにはいささか驚きの念を感じてしまいます。

 今回はこのように文学の中にみられるセルロイドについて見ていくことにしましょう。

 「ことりさんはセルロイドでできていたので、あっというまに燃えてしまいました」

 コッデン作、岩波書店刊の「人形の家」に見られる記述です。意地悪で高慢ちきで高価な人形マーチベーンに唆されて、りんごちゃんという男の子が火の中に入ろうとします。それを救おうとことりさんが自分を犠牲にします。そしてマーチベーンは去っていったのでした。

 ここで見られる、ことりさんはセルロイド製の安価な玩具です。しかし心が優しく自分が犠牲になってでも、りんごちゃんを救おうとします。童話でよく見られるパターンは貧しいけれども優しい、と金持ちで意地悪ですが、この作品なども典型的な例の一つです。

 ここではセルロイドというものは燃えやすいという一般的なイメージで書かれています。確かにこのような状況では、ことりさんは燃えてしまうでしょう。でも実際には、セルロイドはそれほど燃えやすいものではないのですが、それを述べるのは今回の目的ではありませんので省かせていただきます。

「これを見てくれ!」とシャツのボタンを外し、セルロイドのコルセットの胸を示した。脊椎カリエスは、もうほとんど良くなっていたが、やはりギブス・コルセットは、まだ放せなかったのだ。

 安岡章太郎作、講談社文庫、僕の昭和史Uには、安岡が文学仲間の島尾敏男が内臓が弱っている証拠として腹に巻いているゴムを見せると、今度は安岡がお返しに脊椎カリエスを患っている証拠としてセルロイドのコルセットを見せる場面があります。

 戦後間もないころのことですので、この当時の文士は健康であったほうが珍しかったのです。もっとも酒と薬に溺れるという彼らの生活態度にこそ問題があったのですが、そのような自分に都合の悪いことは見事に割愛しています。

 安岡もまともな暮らしをしていたら結核に罹ることも、そこから進行した脊椎カリエスになることもなかったでしょう。そしてセルロイドのコルセットの世話になることもなかったはずです。今だったらプラスックが使われるところですが、当時は医療用としてセルロイドが広く使われていた時代であったのが、この記述から分かります。

 最近、映画も作られて話題になりました新潮社刊、谷村志穂作の海猫では、主人公の薫という日ロハーフの女性はセルロイド人形のような美しさ、冷たさを備えていると書かれています。その女性が嫁いだ先は荒くれの海の男達が溢れていて長男以外は結婚ができないような漁師町。時は昭和三十年代でした。このようなミスマッチな結婚をした上に夫には遥かに魅力的な弟がいたことから、薫は運命に翻弄された挙句に不幸な結末を迎えることになります。

 作者が女性であるだけにセルロイド人形は美しさの象徴とされています。ただ冷たさではなく、透明感を持った神秘性を感じさせる女性と書いて欲しかったところです。

 新潮文庫、芥川龍之介作の蜃気楼ではマッチ、ネクタイピンとともに鈴のついたセルロイドの玩具が登場しています。この作品は芥川が自殺するよりも二ヶ月前に書かれたものです。はっきり言って何が言いたいのかが良く分からない作品です。既に精神を病んでいた症状がかなり進んでいたということが分かる作品になっています。

 立松和平が文章を書いて、夫人の横松桃子が絵を描いていますフーガ二○○三年
三月号で法昌寺というお寺での寒行の話が出ていますが、そこの住職が冷水をかぶった時の洗面器はセルロイド製でした。この住職は一体何時頃の洗面器を使っているのでしょうか?一度見てみたいという気になる一文です。

 第三回伊豆文学賞佳作を受賞しました山下悦夫の「海の祈り」では「その筆入れは上等なセルロイド製であったが」という文章があり、舞台となっています昭和三十年代の雰囲気を良く現す小道具として効果的な使われ方をしています。

 ミケランジェロ・シニェリレの「クリア・イン・アメリカ、メディア、権力、ゲイパワー」では「セルロイド・クローゼットを叩き壊せ」という過激な文章がありますが、ここで言う「セルロイド・クローゼット」とは何と同性愛者が集まる場所のことです。

 これらは何れも作品中にセルロイドが登場する作品ですが、題名にセルロイドが使われている作品も数多く見られます。

集英社文庫、クライブバーカー作、セルロイドの息子
文遊社、由良君美作、セルロイドロマンティシズム
文春新社、三浦朱門作、セルロイドの塔
稲生平太郎作、不思議なセルロイド
春日能為(甲賀三郎の変名)、セルロイド

 これらは題名の一部にセルロイドが使われていますが、内容にセルロイドが登場しているかどうかは未読のため不詳です。もし中身をご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただきたいと思います。

 しかし何といってもセルロイドが出てくる文学作品で思い出しますのは、野口雨情の「青い目をしたお人形はアメリカ生まれのセルロイド」と林扶美子の「放浪記」でしょう。この二つについて見ることにいたしましょう。

 先ず、野口雨情の作が発表されましたのはサロン17でも述べましたとおり一九二一年(大正十年)です。あの有名なギューリック博士の提案による青い目のお人形が贈られるよりも六年前に「金の舟」に発表されたものです。八十四年も前の作品が今だに歌われていることには驚きを感じてしまいます。

 林扶美子は自分自身がセルロイド工場に勤めていた経験があることから「放浪記」に描かれている様子は、実に生き生きとした記述となっています。

「女工が二十人、男工が十五人の小さいセルロイド工場で、鉛のように生気のない女工さんの手から、キュウピーがおどけていたり、夜店物のお垂げ止めや、前帯芯や、様々な下層階級相手の、粗製品が、毎日毎日私達の手から洪水のごとく市場に流れていくのだ」

 この他にこの工場では蝶々やスヴェニール(おみやげ)などが作られているということが書かれています。この時期は一九二三年(大正十二年)ですが、地震のことを全く書いていませんので関東大震災より前のことだと分かります。

 粗製品を作っているぐらいですから、あまり一流の工場ではなかったのでしょう。でも第一次大戦後の凄まじい不景気を乗り越えていますので、三流以下ではなかったはずです。

 この作品は当時のセルロイド使用状況が分かる貴重な資料となっています。

 他にも同じようにセルロイド工場に勤めていた経験を持っているのが「綴り方教室」で有名な豊田正子です。作品にもセルロイドが出てくる記述があるというのですが、残念ながら「綴り方教室」は現在では入手が困難になっています。

 このようにセルロイドは人々の生活の中に溢れていて身近なものでしたので、文学の中にも様々な形で登場しています。これらの他にもご存知の方がいらっしゃいましたらご連絡をお願いしたいと思います。

著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。

連絡先: セルロイドライブラリ・メモワール
館長  岩井 薫生
電話 03(3585)8131
FAX  03(3588)1830



copyright 2005, Celluloid Library Memoir House