セルロイドサロン
第18回
松尾 和彦
セルロイドと二つの球

ここに二つの球があります。一つは直径十−ミリ、もう一つは四十ミリです。でも重さは小さいほうが六グラムあるのに対して、大きいほうは二.七グラムしかありません。その訳は大きいほうがセルロイド製でしかも中空であるのに対して、小さいほうは中まで鋼鉄製で出来ているからです。

 この二つが何かは、もうお分かりだと思います。大きいほうがピンポン球、小さいほうはパチンコ球です。この二つがともにセルロイドと深く関わりあっています。ピンポン、つまり卓球につきましては第十二回の「セルロイドとスポーツ」、パチンコは第十三回の「娯楽の中のセルロイド」でも触れましたが、今回はもう少し詳しくお話しすることといたしましょう。

セルロイドと卓球

スポーツの世界には「あい」ちゃんが大勢活躍しています。テニスでは杉山「愛」ちゃん、水泳の柴田「亜衣」ちゃん、バレーボールの大友「愛」ちゃん、ゴルフの宮里「藍」ちゃんなどです。しかし「あい」ちゃんと言えば何と言っても卓球の福原「愛」ちゃんでしょう。いつも泣いてばかりだった女の子がいつのまにか高校生になってオリンピックに出場するまでになりました。

 この福原「愛」ちゃんが活躍する卓球とはどのようなスポーツなのでしょうか。先ず起源には諸説あって、どれが本当なのか判別がつきにくいのですが、イギリスの学校の生徒がテーブルを台にして葉巻煙草の蓋でコルク栓を打ち合ったとするものと、同じくイギリスでローンテニスを楽しんでいた人たちが雨が降り出すと室内で遊んだとするものとの二つが有力だとされています。

 この卓球の球として、どうしてセルロイドが使われるようになったのでしょうか。その一番の理由は、もちろんセルロイドが発明されたからですが、コルク栓説を取りますと不規則なバウンドをするコルク栓では運不運に左右されすぎてしまいます。またテニス説ですと室内ではテニス用のラケットやボールでは大きすぎます。

 そのためにイギリスのジェームス・ギブが小さなラケットとセルロイド製の球とを考案して新しいゲームとして始めたのです。そして打ち合った時に「ピン」「ポン」という音がしたことから「ピンポン」という名前が付けられたのです。もしセルロイドでなかったら、どんな名前がついたことでしょう。

 この卓球に使われるラケットにつきましては、平坦であって決められた割合以上に天然木を使用していれば大きさ、形、重量等は全くの任意です。それに対してボールのほうは材質、大きさ、重さ、バウンドした時の高さなどに厳重な規格が決められています。その決まりごとをクリアーできるような球を作るためにメーカーは大変な苦労を強いられるわけです。

それでは卓球ボールの製造工程について説明していきましょう。

一、セルロイドの板を円形に打ち抜いてアルコール溶液に一週間漬けて柔らかくした後に、熱湯の中に入れて金型で半円球を作る

二、同じ厚みのオス、メスに組み合わせるために半球の厚みを測定する

三、オス、メスを組み合わせた縦目に溶剤を入れて接合する

四、汚れ、溶剤の跡を落とすための研磨を行う

五、ボールのサイズを決定するために金型に入れて熱成型を行う

六、ボールの重量を調節するための研磨を行う

七、バランス検査を行い最終チェックを行った後、合格品には捺印をして出荷する

この他にも各工程間で柔らかくするためのネカシ洗い、乾燥を繰り返すなどの工程が入るために実際には四十以上にも上ります。また期間も四ヶ月以上かかります。今度、あの四十ミリの球を手に取られました時には、そのような苦労があるということを思い返してみてください。

 この卓球がオリンピックに登場したのは一九八八年のソウル大会からですが、その時にルール改正がなされました。それはサービスを行う時にボールを掌から十六センチ以上上げるということです。そして二○○○年には三十八ミリから四十ミリになりました。
これはいずれも卓球の醍醐味であるラリーを続けさせるための改正でした。今度、卓球を観戦されたり実地に行ったりされる時には、このような歴史があったということも思い出すようにしてください。

パチンコとセルロイド

球つながりで今度はパチンコについて見てみる事にいたしましょう。あの十一ミリの球が実は大変なハイテク製品だと申し上げたら驚かれると思います。球のほうはセルロイドではないのですが、ピンポン球を申し上げましたのでパチンコ球についても述べることにしてみましょう。同じように製造工程について説明していきます。

一、直径七.五ミリ、長さ二千九百メートル、重さ一トンの線材を用意する

二、ヘッダーでカットしながら凹凸の治具でプレスして円盤状の原球を作る。上記の線材から外経十三ミリ、重さ六グラムの原球が十六万個取れます

三、フラッシングマシンで荒仕上げ、中仕上げ、仕上げと三工程かけて研磨する

四、パチンコ店の名前やマークを刻印する

五、九百度から千三百度の温度で約六時間、焼き入れ(滲炭熱処理)を行い、次に二百度から三百度のテンパー炉内で約三時間、表面焼き戻しを行う

六、焼入れした後の汚れを落として球の表面を荒磨きした後に直径十一ミリの寸法に仕上げる。その後さらに表面の艶出しを八時間かけて行う

七、十五時間かけて硬質クロムメッキを施す

八、刻印した店名やマークに着色して梱包した後出荷

 そしてこれだけの工程を経て直径十一ミリの高精度な真円球を作り出すためには様々なハイテク測定機器が用いられています。真球度を測定するための最大倍率二十万倍を持つ精密測定装置、球の表面の形状粗さを測定する精密装置、球の硬さを測定するロックウェル硬度計、球のミクロ・マクロ組織を観察するための金属顕微鏡、高精密測定のためのクリーンルーム、エアシャワーなど、パチンコ球製造はハイテク産業なのです。このようにして作った合格品でないと、あの独特の動きを見せてくれないのです。

 パチンコ球がハイテク製品だということを分かっていただいた後にパチンコそのものについて説明することにいたしましょう。

 先ずパチンコのルーツとも言えるコリントゲームについて、日本では一九一○年にアメリカデトロイトのカイル商会が発明したものが日本にも入ってきたものと言われています。ところがアメリカでは一九○一年に日本で発明されたものだとされています。一体どちらが本当なのでしょう。このコリントゲームは今でも温泉場などに行くと見られますスマートボールのように横に置いたもので緩やかな傾斜がついたところをボールが転がっていくというものでした。

 このコリントゲームを一九三○年頃にアメリカで縦にしたものがパチンコです。本家ではあまり流行らなかったのですが、日本では最初夜店に出ていたものが戦後になって爆発的に普及しました。ちょうど物不足が一番酷かった時代でしたので大豆グルーで接着した合板が使われました。ものが板で、しかも粗悪品といってもいいものでしたから湿度によって収縮し晴れの日と雨の日とでは球の出がかなり違っていました。そのためマニアが色々と研究していたのです。

 パチンコ球の動きを左右する釘ですが、黄銅製の物が多く使われていました。これは戦争が終わったために薬莢が余ってしまったのです。そのために生まれたのが五円玉とパチンコ台の釘だったのです。パチンコを楽しんでいた人達は、まさか薬莢が釘に化けていたなどとは思わなかったことでしょう。

 このパチンコを面白くするために様々な絵が描かれました。この背板として使われたのがセルロイドでした。カラフルな絵が描きやすい上に釘を打っても割れたりひび割れたりすることが少ないセルロイドが選ばれたのです。もっともその当時はセルロイドぐらいしか手に入らなかったという事情もあったようです。

 そうして一辺が五百ミリ×三百ミリ程で厚さ○.一五ミリのセルロイド盤に様々な絵が描かれて目からも楽しむことの出来るゲームとなりました。

 そしてもう一つセルロイドならではの思いがけない効果も生み出しました。例の独特な動きです。反発係数が適していたのであの動きが生まれました。これがゴムのようなものでしたら動き方は違ったものになっていたはずです。そうするとこれほどまでに普及して、しかも息の長い商品になっていたかどうか疑問の残るところです。

 面白いことに不正の手段として使われたのもセルロイドでした。細長い板を差し込んで一気に球を取ってしまうのです。これはもちろん禁止されていることですので見つかったら逮捕されてしまいました。

 このようにセルロイドを使用していますのでパチンコ屋の弱点は火に弱いということです。十年ほど前の話ですが著者の自宅の近所でパチンコ屋が火事になりました。火は瞬く間に広がってとうとう全焼してしまいました。幸いにも死傷者はいなかったのですが、そのパチンコ屋は倒産してしまい現在その場所は駐車場になっています。この他にもパチンコ屋の火事は驚くほど多いのに、禁煙にしていないのには首を傾げてしまうところです。

 パチンコというものは、このような歴史があるものだということを楽しまれる時には思い出してください。あくまで楽しまれる時です。パチンコで儲ける方法はパチンコ屋になること、損をしない方法は最初からやらないことしかありませんので儲けようなど損を取り戻そうなどとは決して考えられないことです。

著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。

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