セルロイドサロン
第173回
松尾 和彦
セルロイド玩具は何故消えた

 1954年(昭和二十九年)11月アメリカのトーマス・レイン議員が可燃性日本玩具の輸入を禁止するように要求したことはよく知られています。翌月のクリスマスはセルロイド玩具業界にとって最大の書き入れ時です。この年のセルロイド輸出額は19億6500万円で、そのうち玩具が5億8400万円、さらにアメリカ向けが1億9400万円ですから、一割以上を占める大市場でした。加えて当時のアメリカの影響力は現在よりもはるかに大きなものがあり諸国への波及は必至の状態でした。
 セルロイド業界、特に玩具業界がパニック状態になっているところに国内から思わぬ二の矢が現れます。大手百貨店の伊勢丹が12月26日付の朝刊に「セルロイド玩具は総て不燃性のものと取り換えました。安心してお求めください」との広告を掲載したのです。さらに各百貨店から相次いでセルロイド玩具が姿を消しました。この頃の玩具には「燃えない」との表示が見られます。横浜のセルロイドハウスにも所蔵していますので来館の際にはご覧になってください。

 このように書きますと急速に無くなっていったかのように感じますが、この年のセルロイド玩具輸出高は前にも書きましたように5億8400万円で、影響が出た翌年には4億4000万円に落ちましたが、さらに次の年には4億9300万円に盛り返しているのです。セルロイド全体の輸出額も20億6600万円と戦後の最高を記録しています。
 実はトーマス・レイン議員が提出した「可燃性物資法案」は一度も審議されることがないままに廃案となったのです。これでアメリカ向けはひとまず危機を脱しました。また国内向けも起き上がり(六寸)がセルロイド製420円に対して、セルロース・アセテート製460円、硬質塩化ビニル製500円と、価格的に優れていたこともあって百貨店からは姿を消したものの小売店では健在でした。また時はまさに「神武景気」の時代で消費拡大の波に乗りセルロイド製品も売れました。そのため1957(昭和三十二年)年にはセルロイド新生生地の生産高は6866トンと戦後の最高を記録しています。

 しかし各種製品のプラスチックへの切り換えは、もはや時代の流れとなっていて文具、万年筆、洗面用品、歯ブラシなどがセルロイドから変わりました。さらに好景気の後には不況が訪れるという循環によって「なべ底不況」となりました。そのためセルロイド業者は滞貨に苦しみ不況カルテルを結ぶこととなります。新生生地の生産も翌年には4690トンと大幅に落ち込みます。それでもセルロイド製品の値崩れは激しく倒産する業者が相次ぎます。プラスチック類も性能が向上した上に価格も下がり一般に浸透してきました。
 このようなことが絡まって次第にセルロイド製品、中でもセルロイド玩具が姿を消していったのです。さらにST(Safety Toy)法によりセルロイド玩具は危険物とみなされました。これらが相まって幻となっていきました。セルロイド玩具が消えたのはトーマス・レイン議員よりも、こういった諸事情によるものだったのです。

 しかしセルロイドには色合い、感触など他のものにない独特の魅力があります。そのたファンも多くコレクションしている方も沢山います。人気テレビ番組や、セルロイドハウス、当サロンなどで紹介される機会も増えました。ところがそれが一方では価格高騰という困った事態を引き起こしています。十年前に1000円程度だったものが今では10000円出しても買えるかどうかわからない状態です。この流れは当分続くことでしょう。それでも頑張って掘り出し物を探していく所存でおりますので今後ともセルロイドハウス並びに当サロンをよろしくお願いします。


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