セルロイドサロン
第154回
和久井 昭蔵
硝化綿とともに大成化工㈱での50年

    
1)はじめに
  昭和6(1931)年、新潟県新井市(現在の妙高市)に生まれる。小学生3年の時に父親の仕事の関係で東京都葛飾区立石に転居。昭和18年、都立向島工業学校応用化学科(旧制)に入学、23年卒業と同時に大成化工㈱に入社、吾嬬工場技術部に配属、硝化綿製造を担当。以来昭和38年の同工場閉鎖まで一貫して硝化綿製造(セルロイド用・塗料用)に携わった。

  昭和38年には同工場閉鎖に伴い、本社工場の上平井工場に転勤し、再製セルロイド・顔料分散体・溶液樹脂等の生産を担当した。この間、業界団体の硝化綿工業会では技術委員として防災対策に務めた。その後も社史の編纂を任されるなど、平成10年現役を引退するまで約半世紀にわたって同社に勤務出来たことは大変ありがたいことと今も思っている。

  その後、岩井薫生氏の主宰されるセルロイドハウス横浜館にあって、技術委員として平成10年からセルロイド産業史年表の編纂やセルロイド関係の資料の整理・分類の作業を行った。

2)大成化工㈱での仕事
  まずは、50年にわたり勤務した大成化工㈱についてであるが、同社は大正3年東京府下南葛飾郡亀戸町に深見セルロイド工業所として創業した。当初はセルロイド再製を事業としていたが、大正12年からはセルロイド原料の硝化綿工場を東京府下南葛飾郡吾嬬町に建設し、新製セルロイドの生産を開始した。大正14年に社名を大成セルロイド㈱に改め、事業は順調に拡大し、昭和3年には同郡奥戸村に新製セルロイド用の奥戸工場(のちの上平井工場)を新設、同時に亀戸工場(セルロイドの製造)閉鎖。当時は東日本で第一の規模のセルロイド一貫メーカーとなっていた。入社当時、資本金200万円、売上高5,892万円、セルロイドの年産能力は360㌧であり、大日本セルロイドをトップとする業界で第5位であった。因みに、敗戦直後の昭和21年8月には吾嬬工場は賠償指定(同年12月解除)を受けた程の全国でも重要な工場であった。

  戦中戦後の激動混乱期を経て、硝化綿・セルロイドをめぐる事業環境も大きく変わり、昭和38年には吾嬬工場を閉鎖して硝化綿から撤退、さらに昭和42年にはセルロイド再製事業を収束し、セルロイド事業から完全撤退した。以来、本社工場のほか、新事業所を複数建設し、新規事業を展開している。現在は資本金4500万円、「世界に通用するファインケミカルメーカー」を目指し、溶液樹脂・顔料分散体・コーティング事業に機能製品等と、事業多角化を図っている中堅化学メーカーに成長している。

表1    私の経歴
 年次                                 記      事
 昭和6(1931)        新潟県に生まれる
     18(1943)     東京都立向島工業学校応用化学科入学(旧制)
     23(1948)     同校卒業、大成化工㈱入社
                               吾嬬工場配属(硝化綿製造担当)    
       32(1957)    硝化綿製造課長
       38(1963)      吾嬬工場閉鎖に伴い上平井工場に異動(顔料分散体担当)
       50(1975)      生産部長
 平成2(1990)      総務部次長
           10(1998)    顧問 社史編纂に当る(平成15年社史『大成化工のあゆみ』刊行)
           12(2000)     セルロイド産業文化研究会(代表理事岩井薫生)発足し、参加
      15(2003)    同研究会技術委員会副委員長
      16(2004)     セルロイドハウス横浜館開館、学術担当ディレクター
      17(2005)     セルロイド産業文化研究会理事、産業史年表作成作業に携わる
      20(2008)      同研究会技術委員長
          23(2011)    セルロイドハウス横浜館評議員
      25(2013)   同館館友 現在に至る

  同社での担当業務については冒頭で一部述べたが、硝化綿製造で補足すると、原料の薄葉紙(コットンリンター)は製紙会社から、硫酸・硝酸は日産化学等から調達し、可塑剤の樟脳は専売公社からであった。製品のセルロイド用硝化綿は自家消費に、製造されたセルロイド板は代理店に出荷し、加工業者に直販することはなかった。他方、塗料用硝化綿は塗料メーカーに出荷した。

  ここで、溶液樹脂事業について触れておきたい。昭和31年に都立工業奨励館の化学部長・工学博士岩井信次氏から当社が塗料用合成樹脂事業に転換・進出を計画しているのなら、当館の研究室の使用と実験指導を許可すると、当時の津田直次専務取締役に連絡を頂いた。これがその後の当社の新規事業展開の契機の一つになった。岩井氏は現セルロイドハウス横浜館のオーナー館長・岩井薫生氏の尊父。岩井信次氏と当社の津田専務は、セルロイド生地・製品の粗悪品輸出を防止するため昭和24年に設立された(財)セルロイド検査協会で、ともに評議員を務めていた関係から相互に知己であった。岩井氏は周知のようにわが国合成樹脂の研究開発のパイオニアのお一人であった。

  昭和38年には街中での危険物製造はむずかしくなったこともあって、吾嬬工場は閉鎖した。移転先の上平井工場では、顔料分散体を担当した。これは硝化綿カラーチップであり、「硝化綿と顔料を強力なる2本ロールにて練肉するため火災事故が頻繁に発生し、防災対策に大いに苦労」したことが思い出される。なかでも、昭和47年7月1日に発生した火災事故はロールオフの製品を積み重ねた状態から蓄熱で発災したもので、東京消防庁から技術上の不適合だったとして消防法違反を問われ、3か月の使用停止命令があったことなど、常に火災との闘いだった。その後、生産部長、そして総務部次長を経て平成10年に顧問に就任した。
                           
3)社史の編纂
  平成10年の退任に際して、社長から大成化工の歴史をまとめてみないかとの勧めを受けて社史編纂を任された。すべて独りで執筆・編集を行い、15年に『大成化工のあゆみ』として刊行した。これは社員教育用であった。その後、社外の人にも読んでもらいたいとのことで改定を施し、翌16年に『大成化工のあゆみ 1925~2004 改訂版』(379頁)として出版した。その内容は、会社の沿革については詳細な年表を作成、さらに事業部門に関しては、セルロイド、硝化綿はもとより、その後の各種新規事業につき詳説した。取材した方はおよそ100名にのぼった。創業者縁の地も歴訪して実地調査して、まとめたところに本書の特色があると自負している。

4)業界での活動
  業界団体であった硝化綿工業会関係での仕事だが、昭和27年からJIS制定作業のため技術委員会に出席するようになり、これが工業会に関わる一歩であった。その後約50年にわたって技術委員として参加した。他社では数年で交代したが、私は長年にわたり一貫して団体業務にかかわることができたのは幸いであった。とくに、続発する火災事故対応のため業界として消防からの要請に応じて様々な対策に取り組んだ。東京消防庁の要請で、硝化綿チップ防災研究会を設け、講習会を定期的に東京と大阪で開催するなど、大いに活動した。

  二つ目に、団体史の編纂に会社を代表して参画したことである。顧問になってからだが、工業会史の企画・編纂に携わった。太平化学の菱川信太郎氏が中心となって設立40周年記念の工業会史を発行することになり、一部執筆を行った。平成10年に215頁の『硝化綿工業会四十年誌』が刊行された。内容は、単なる工業会の業務記録に止まることなく、セルロイド・硝化綿の世界的な発展史をも織り込んだ工業史として読めるものになっている。なお、同書には、大成化工㈱元生産部長の肩書で「技術委員会回想」(4p)を書いたが、そこで工業会の活動を回顧している。

5)岩井薫生氏との出会い
  平成10年に大成化工の顧問として同社の社史編纂のため歴史を調査している時であった。当社と岩井氏が社長を務めるDJK社とに共通する某氏を通じて、岩井社長が「セルロイドに係る学術的資料の収集などすべてを系統的・組織的に纏めたいので関係者を紹介してほしい」との話があり、参加することにした。これがそもそもの出会いであった。

  先述の通り、同氏の尊父岩井信次氏には当社が戦後お世話になった方であった。早速、技術委員会に席を置き、「セルロイド産業史年表」を作成した。これは、その後『セルロイド関連技術の展望』(セルロイド産業文化研究会技術委員会 2005年10月)に収録された。このほか、平成14年3月の硝化綿工業会解散に伴い破棄されることになった関係文献・資料を横浜館で引き取り、その整理も行ってきた。これは同館のセルロイド・硝化綿関係の収蔵文献充実に貢献したと思っている。

表2    主な著作/講演一覧
           名 称            年  月         備 考
「危険物施設の安全管理方策について」   昭和50年7月           東京防災指導協会での講演             
「硝化綿チップの取扱について」                 昭和55年6月26日   工業会防災講習会(大阪)
同上                                         昭和56年6月11日  同上(東京)
「硝化綿の取扱について」                      平成4年7月3日    同上(大阪)
『硝化綿工業会四十年誌』                     平成10年3月        副監修執筆
『大成化工のあゆみ』                          平成15年7月      編纂執筆 
「セルロイド産業史年表」                        平成17年6月         セルロイド産業文化研究会技術委員会

6)おわりに
  振り返ると、硝化綿、セルロイド生地、それに顔料分散体、溶液樹脂等の業務に半世紀にわたって携わってきました。大成化工の生産部長として、また同時に硝化綿工業会の技術委員として、専念できたことは、人生に豊かさを与えてくれました。そして硝化綿・セルロイドが日本近代産業の黎明期・勃興期の一翼を担っていた時期に一化学技術者として活躍できたことを誇りに思っています。その後、縁あって岩井氏とお会いし、セルロイド産業文化研究会に参加させていただき、セルロイドハウス横浜館の業務のお手伝いもできたことを大変嬉しく思っております。
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和久井昭蔵(わくい しょうぞう)氏は、千葉県習志野市在住  大成化工㈱元生産部長・元顧問、セルロイド産業文化研究会技術委員を経て、同理事、評議員、現在セルロイドハウス横浜館館友
(2013年9月2日および9日、津田沼モリシアでのインタビューの概要である。聞き手・文責:平井東幸) (2013年9月 30日)


<平井東幸略歴> 昭和33年早稲田大学第一商学部卒業、日本化学繊維協会調査部長、㈱繊維総合研究所取締役調査情報部長、岩手県立宮古短期大学教授、岐阜経済大学教授を経て、嘉悦大学教授、平成18年同退職。現在、セルロイド産業文化研究会評議員、東京産業考古学会副会長

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