セルロイドサロン
第146回
松尾 和彦
土佐人三人

 
 東西に長く太平洋を望む四国高知県は板垣退助、浜口雄幸、幸徳秋水、山下奉文、寺田寅彦、大原富枝、やなせたかしなど数多くの人材を輩出していることで知られています。

 しかし高知出身の有名人と言えば何と言っても坂本竜馬でしょう。その短い生涯は何度もドラマ化されたために日本史史上最高の人気を誇ると言ってもよいほどです。ところがこの超有名人は明治初期には完全に忘れ去られていました。妻の楢崎龍は西村ツルと名乗ってアルコール中毒の貧困生活に落ち込んでいました。それが1883年(明治十六年)に土陽新聞(高知新聞)に連載した坂崎紫瀾の「汗血千里駒」によって人々が再び知るところとなりました。さらに日露戦争の最中に皇后の夢に現れたなどの話が伝わり一気に人気を得ました。ただし西村ツルこと楢崎龍の生活向上にはつながらず極貧のまま亡くなりました。

 その坂本竜馬を助けた中の一人に三菱財閥の創設者として知られる岩崎弥太郎がいます。算盤侍とそしられながらも竜馬らを助け続けました。竜馬が創設し弥太郎も入隊した海援隊の規約では「海外に志ある者」が入隊できることとなっていました。弥太郎はこの条件を満たしていると見込まれたのです。

 後に三菱財閥を上回る財閥が生まれました。これまでに何度か取り上げたことのある鈴木商店です。そこで陣頭指揮を執った番頭がこれまた何度か取り上げたことのある金子直吉。この人もまた土佐出身です。

 この土佐人三人に共通するものがあります。それが樟脳です。江戸時代の輸出品と言えば金、銀、そして樟脳でした。中でもほぼ独占状態であった薩摩藩の利益は大きく二千両を超えていました。

 薩摩が独占していた樟脳市場に乗り込んできたのが土佐で、竜馬が船中八策をまとめたことで知られる夕顔丸も樟脳取引の利益で購入した船です。

 弥太郎の生涯をまとめた伝記本の題名は「樟脳と軍艦」。その題名通り弥太郎は樟脳と軍艦によって業績を伸ばしています。台湾出兵の際には軍事輸送を一手に引き受け、西南戦争でも輸送業務を担当しています。

 また鈴木商店の別名は樟脳財閥。名前の通り台湾の樟脳をほぼ独占していました。そして他の分野にも手を広げていきました。

 三菱と鈴木商店とが手を結んだ事業が兵庫県網干の日本セルロイド人造絹糸であるのは良く知られています。樟脳を主原料の一つとするセルロイドには土佐人が深く関わっていたのです。

 現在では残念ながら土佐風の樟脳精製事業は廃れてしまいました。観光的でも良いから復活してほしいと思うのですが、土佐の方はどのように思われているのでしょう。

 このように樟脳及びセルロイドには竜馬、弥太郎、直吉と三人の土佐人の努力があったのです。これから樟脳、セルロイドを見る時には土佐の先人三人のことを思い出してもらいたいものです。 

著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。


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