セルロイドサロン
第131回
菱川 信太郎
私と硝化綿・セルロイド工業



1)幼少期から海軍兵学校卒業まで

大正15(1926)年に東京に生まれた。父方の祖父は津軽藩士の家に生まれ、明治のころ、文部省の役人をしていが、父が幼いころ亡くなった。父は若いころ事業に失敗、生計を立てるため東京下町で小売店を始めた。母は両親がともに大阪船場の商家の出だったせいか商売に熱心で、父を助けてよく働き、私が成長する頃にはそこそこの規模になっていた。

そのような中で、昭和18年12月、私は海軍兵学校に入校。その時、旗本の娘だった祖母は「これでご先祖様に顔向けができる」と言って喜んだことを憶えている。妹や姪が華族に嫁いでいる中で、自分の息子が商人になったのを気にしていたのかも知れない。

昭和20年8月6日、古鷹山を背にした江田島の校舎でも空が光り震動が伝わり、後に広島への原爆投下を知った。同月25日には東京に帰った。



2)東工大入学から大日本セルロイドを経て太平化学製品入社

翌21年5月に東京工業大学に入学、応用化学を専攻した。金丸競先生の研究室で高分子
化学を学んだ。同先生の東大時代の後輩で大日本セルロイド(現ダイセル化学工業)の役員をしていた和田野基さんのご紹介で昭和24年同社に入社し、兵庫県の網干工場に配属され、セルロイドや塗料原料になる硝化綿製造を担当した。仕事が労務管理中心で、思うところあり、昭和28年に退社した。
再び和田野さんにご紹介いただき、太平化学製品鰍ノ入社した。埼玉県川口市にあるこの会社は当時資本金2500万円位、従業員も120名の小規模だったが、それだけに仕事を自由に思ったようにやれたのがよかった。ダイセルの経験から早速、硝化綿製造部門を任された。昭和31年には製造課長、41年に技術室長、45年に川口工場長、翌46年には取締役、平成元年には常務取締役、同7年常勤監査役となり、昭和24年に開始したセルロイド生地事業、昭和34年からの硬質塩ビ板等の生産を含めて技術開発,製造工程の効率化等のため働いた。



3)連続硝化法とパルプ直接硝化法の開発と工業化

硝化綿製造で一番成果を上げたのは、約10年を要しはしたが、連続硝化法と原料をパルプに転換する技術の開発と実用化であった。前者は、入社当時は、明治時代に開発された米国のセルロイドの発明者の名を冠したハイヤット式というもので、工程が稚拙で、作業に危険が伴い、しかも製品の質は粗悪であった。これを改善するため、新しい工程を開発に取り組んだ結果、従来のバッチ式から連続硝化法を実用化した。はじめは、月島機械のエッシャーウイスという遠心分離機を利用したが、保守上に問題があり、これを住友機械のコンタベックスという遠心分離機に代替することで成果が上がった。この連続化のポイントは遠心分離機であった。


表1  私の経歴

年 次 記 事
大正15(1926) 東京に生まれる
昭和18(1943) 海軍兵学校入校
昭和21(1946) 東京工業大学入学
昭和24(1949) 同大学卒業、大日本セルロイド(株)入社
昭和28(1954) 同社を退社して、太平化学製品鞄社
昭和31(1956) 製造課長(硝化綿)
昭和46 (1971) 取締役就任
昭和47(1972) 技術部長
昭和50(1975) 化成品事業部長
昭和51(1976) 草加工場長
平成元(1988) 常務取締役
平成7(1995) 常勤監査役
平成10(1998) 退任・退社


他方、後者だが、それまでは原料はティッシュペーパーを購入していたが、その後コットンリンターを購入して自社精製していた。これを安価で供給の安定している輸入パルプへ原料転換するものであった。パルプは酸が浸透しにくいが、これを特殊な開繊技術を自社開発した。ここのポイントは、粉砕機であったが、三崎船舶の機械を導入して実用化に成功した。その結果、製品の品質は向上し、粗利益は40%超、労働者数もそれまでの単位当り7〜8名から2名に減少した。また、前者の技術ノウハウはその後同業他社に開示した。ということで、わが国硝化綿工業の歴史に新たな1ページを加えたと思っている。

現役中の大きな仕事としては、上記の新技術の導入とその実用化のほかに、川口工場長時代の全面ストライキ64日に及ぶ労働争議に対応したこと、それに、発射用火薬やダイナマイト原料にもなる硝化綿を扱うため多発した事故への対応であった。私自身も負傷して何回も入院した。


4)太平化学製品鰍フ変遷

太平化学製品の前身は明治40年に遡るが、昭和13年に田島加工鰍ニなり、同20年には太平加工梶A22年に現在の社名になった。硝化綿を中心に戦後はセルロイド生地、塩ビ等とプラスチックに事業を展開してきた。現在は合成樹脂と化成品を事業の柱にしている。創業以来の事業である硝化綿の生産は保守管理上の問題もあって中止し、フランスからの輸入に切り替えた。同業他社も同様である。

興銀とは戦時中から融資面で付き合いがあり、製品の需要低迷、労働争議の後遺症、投資の負担増等があって資本金を上回る赤字を計上し、興銀から社長を迎えて再建に取組み、昭和48年には、塩ビレジンの供給元の東洋曹達(現在の東ソー)グループになった(現在も資本金の72%は同社が所有)。



5)社史の編纂

会社が昭和63年に創業50年を迎えることから、50年史制作を提案した。経営者の交替もあり、古いことが分からなくなりつつあった。編纂と執筆を担当し、同年に『太平化学製品株式会社 五十年史』として刊行した。131頁の本書は、500部印刷し、従業員、管理職OB、関係先等に配布した。会社の歴史を、社内報等を参考に、その時代々々の業界動向、時代背景の中で記述したところに特色があると考えている。


6)業界での活動

業界団体であった硝化綿工業会関係での仕事だが、まずは昭和38年から技術委員会に出席するようになり、その後営業面を含めて約30年、会社を代表して業界活動を行った。とくに、当時、業界で続発する火災事故への対応のため消防や警察からの要請に応じて様々な対策に取り組んだ。硝化綿の長期保管テスト等の各種実験も行ったし、事故の現場調査にも参加した。その後東京消防庁の要請があり、硝化綿チップ防災研究会を設け、マニュアルの作成(12冊)や役所への対応に取り組んだ。

もう一つは、常勤監査役になってから、工業会史の企画・編纂に携わったことだ。工業会設立40周年を記念した工業会史を取りまとめようと言うことになり、各社から編集委員を出してもらい、監修・執筆を行った。硝化綿協会が昭和28年に出した『硝化綿工業』等も参考にして、215頁の『硝化綿工業会四十年誌』を平成10年に刊行した。単なる工業会の業務だけでなく、セルロイド、硝化綿の世界的な発展の歴史も織り込んだ内容になっている。工業史としても読めるものと思っている。

会社が昭和63年に創業50年を迎えることから、50年史制作を提案した。経営者の交替もあり、古いことが分からなくなりつつあった。編纂と執筆を担当し、同年に『太平化学製品株式会社 五十年史』として刊行した。131頁の本書は、500部印刷し、従業員、管理職OB、関係先等に配布した。会社の歴史を、社内報等を参考に、その時代々々の業界動向、時代背景の中で記述したところに特色があると考えている。


表2  主な著作一覧

名 称 発行年月 備 考
「ニトロセルローズ」 昭和36年4月 ハーキュレス:=ニトロセルローズ・プロパティ・アンド・ユースよりの抄訳
「たいへい物語@〜B」 社内報『大樹』の1993年1月号、3月号 5月号に連載
『太平化学製品株式会社五十年史』 昭和63年2月 執筆編纂した
『硝化綿工業会40年史』 平成10年3月 執筆編纂した
「セルロイド余話」 平成13年7月 セルロイド産業文化研究会
「セルロイド工業における光と陰」 同上 同上
「私と硝化綿・セルロイド工業」 平成24年2月



7)岩井薫生氏との出会い

セルロイド産業文化の保存継承にかねてより努力されている岩井薫生氏に初めてお会いしたのは、同氏がセルロイドハウス横浜館の開設準備をされておられる頃であった。以来、同氏のセルロイド関係史料の収集保存に賛同して、太平化学製品の昔の硝化綿製造用の甕を含めて不要となった機械器具、硝化綿工業会閉鎖に伴うその資料、それに私有の図書類を譲渡した。同館で大事に保管展示されていることは業界に長く関係した者の一人として大変ありがたく思っている。今後ともこうした貴重な史料を後世に伝えて頂くよう願っている。



   

8)おわりに

硝化綿とセルロイドの産業に半世紀携わってきた。太平化学製品の硝化綿製造部門の責任者として、そして後半には役員として会社経営の多くの面を担当してきたことを幸いに思っている。その間、労働争議、死傷者の出た事故、工場火災への対応など大変な苦労もしてきた。今こうして思い起こすと、社内報に連載した「たいへい物語」の末尾に書いた次の文章を引用しておきたい。「かくして、四十二年という歳月を共にした、人に役立つことも大きいが、ひと度怒らすと凶暴の限りを盡すこの白い粉、硝化綿は、峻烈で襞の深い思い出を私の心に刻んで、去って行ったのである。」

菱川信太郎氏は、さいたま市在住  太平化学製品褐ウ常務取締役、海軍兵学校連合クラス会・元代表幹事、セルロイド産業文化研究会理事を経て現在最高顧問。

(2011年12月13日および2012年2月14日、鰍cJK本社でのインタビューの概要である。 聞き手・文責:平井 東幸)

(2012年3月8日)





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