セルロイドサロン
第125回
立川 信義
セルロイド、おもちゃと共に60年



1)家業のセルロイド

大正11(1922)年に東京に生まれた。父親はすでに2年前から「吹き込み」によるセルロイド玩具の製造業を営んでいた。学校を卒業して日本橋の丸善に勤めた後、海軍に入り兵器等の整備を行ったが、間もなく軍の学校の練習生になり、千葉県で勉強しているうちに終戦を迎え、直ちに復員した。


昭和23年に父がセルロイド加工業を再開、これを手伝うことになった。当時は近所の永峰セルロイドの専属下請けであった。同社は周知のように東京のセルロイド加工業のパイオニアの一つであり、大手であった。生地と金型を支給され、注文通りの商品・・・例えば金魚鴨など(当時、「水物」と言っていた)を吹き込みで造り、納期通りに納めるのが仕事であった。

2)下請けからの独立

昭和20年代の半ばは、時代は戦後の復興期で、朝鮮戦争ブームもあり、輸出も活況で景気も良くなった。一時は職人が朝帰りするような好景気であった。こうした中で、下請けのままでは、ただ注文をこなすだけで、受け身であり自主性もない。「このままではうだつがあがらない」ので、昭和25年に社名を立川玩具製作所として製造販売を始めた。自分で企画して製造した商品を蔵前の問屋に持ち込み販売したのである。こうして下請け加工業から脱皮して製造販売業へと舵を切った次第だ。原料の生地の仕入れはダイセルの代理店等から買えたし、製品デザインは自分で行い、従業員を数人雇用、さらに仕事を10軒程度の内職屋に出した。企画したデザインを原型師に発注、それを石膏師に依頼、さらに金型屋に頼んで金型を作ってもらう。当時は内職はもとより関連の業者や職人が大勢地域に集まっていたので、商売に関する情報も入り易く、それが相乗効果を発揮して、セルロイドのビジネスが拡大していたのである。


こうして日本一の東京セルロイド加工産地が形成されていった(東京と大阪は二大産地)。当時、販路開拓には困らなかった。むしろ、商品の企画デザインが大きくものを言ったと思っている。例えば、子供用の手提げ、あるいは「湯押し」で造った起き上がり、ガラガラなど、アイディアが当り、売上利益とも大いに伸びた。今から回想すると、当時は戦後のセルロイド業界の最盛期であった。ただ、金型を作るにはかなりの金がかかり、製品が当らないと回収できないこともないではなかった。
しかし、昭和29年に伊勢丹がセルロイド以外の不燃性の玩具を取り扱うとの広告を新聞に出し、翌30年には全国のデパートからセルロイド製玩具は姿を消した。さらに追い打ちを掛けたのが米国の輸入禁止措置であった。そこで、昭和30年代のはじめからセルに代わる材料としてソフトビニールを手掛けた。荒川では当社が初めてだった。この間にも、国会図書館で『ラバー・ダイジェスト』誌を読み、また、見本市を見学したりして調査研究を重ねた。こうして製品だけでなく、製造工程の改善にも不断に心掛けたことが事業を継続できた一つの要因だと思っている。


玩具総合卸のツクダが、つまり問屋が傘下にツクダ・オリジナル社を子会社として設立して自分で製造部門を始めた。そこで、昭和36年に同社と取引を始めたところ、アセチレートとポリエチレン製の「ダックボール」等が大いにあたり、専属になった。社名を昭和41年に潟^チカワと改称した。


このように、時代の潮流に合わせて原料の転換、製品の多角化、製法の高度化等に取り組んだことが懐かしく思い起こされる。その後は、玩具の流行もキャラクターやテレビゲームなどへと大きく変わり、かたや、セルロイドに代わって難燃性の各種の合成樹脂が登場したし、その後は加工方法もインジェクション・ブロー成型、真空成型による大量生産に変わった。 


その後も、世の中はさらに大きく変転し、そのツクダも数年前に経営蹉跌した。当社も平成17年に廃業した。セルロイド玩具から始まったおよそ60年の変化に富んだ職業人生であったが、多くの先輩、同僚の支援も受けたことを含めて、今振り返えるとまことに感慨に堪えない。

3)業界団体での活動

日本プラスチック玩具工業協同組合は、大正4(1915)年設立の東京セルロイド同業組合にさかのぼる歴史の古い業界団体だ。その監事と理事を長年、昭和50年から平成17年まで務め、業界の発展のために努力してきたが、そのなかでとくに思いだすこととしては、セルロイドの歴史を映像でまとめたことだ。


平成に入ると、国内でのセルロイド生地製造も終わることになり、細々と続けられてきた東京や大阪での製品加工業も終焉に近づいた。平成4年頃だったか、今のうちに映像による記録を組合事業として実施してはどうかと提案をしたところ、それはよいとのことで、「言い出しっぺがやるべし」となって、VTRを制作、組合創立30周年記念事業の一つとして平成9(1997)年に『セルロイドおもちゃ今昔』として完成した。組合に編集委員会を設けて、企画制作した。その内容は、米国におけるセルロイドの発明から説き起こし、明治以来の日本のセル業界の盛衰を、同業諸氏の証言、セルロイド商品の紹介、加工業の仕事場や生地製造工程の貴重な映像を含めて50分にまとめた。博物館をはじめ多くの団体、企業、個人のご協力を得たことを感謝している。単なる組合の歴史ではなく、わが国のセルロイド業界史を映像で記録したものは他には恐らくないものと自負している。現在、全国的にみてもセルロイドの加工をしているところはほとんどない。それだけに15年前に制作しておいて本当によかったと思っている。


なお、これまで何回も表彰を受けた。昭和41年には、プラスチック玩具コンクールで通産省の中小企業長官賞と繊維雑貨局長賞をもらった。昭和54年にも同じく通産省の生活産業局長賞を受賞した。このほか、日本玩具協会からは精励栄誉賞と功労栄誉賞をもらった。後者は長年にわたる団体での活動が評価されてのことだろう。今も嬉しく有難く感じている。

60年の歴史

年 次 記 事
大正(1922) 東京府北豊島郡に生まれる
昭和20(1945) 復員
昭和23(1948) 実父、セルロイド加工所を再開
昭和25(1950) 立川玩具製作所として玩具製造販売を開始
昭和36(1961) 潟cクダ・オリジナルとダックボールの製造で専属取引開始
昭和41(1966) 潟^チカワを設立(資本金50万円)
プラスチック玩具デザインコンクールで、中小企業長官賞(ペアーダック)、繊維雑貨局長賞(ペリカン風車)を受賞
昭和50(1975) 資本金を200万円に増資
日本プラスチック玩具工業協同組合監事に就任(昭和56年まで)
昭和54(1979) プラスチック玩具デザインコンクールで、生活産業局長賞(ローリーダック)を受賞
昭和56(1981) 日本プラスチック玩具工業協同組合理事に就任(平成17年まで)
フジテレビでダックホールの製造場面とインタビューを放映
昭和60(1985) 日本玩具協会から精励栄誉賞を受賞
平成7(1995) 資本金を1000万円に増資
平成9(1997)  <日本プラ協組でVTR『セルロイドおもちゃ今昔』を完成>
平成10(1998) 日本玩具協会から功労栄誉賞を受賞
NHK小学生教育番組でダックホールの製造場面とインタビューを放映
平成11(1999) 同上の番組で再放映とあわせて小学生の感想文の放映
平成17(2005) 日本プラスチック玩具工業協同組合理事を退任
潟^チカワ、廃業


4)岩井薫生氏との出会い

過去十数年、セルロイドの調査や保存に取り組んできて、とくにすでに述べたYTR『セルロイドおもちゃ今昔』の制作を機に、NHK、読売新聞等のマスコミが取り上げてくれるようになった。日本経済新聞も記事(平成9年8月1日)にしてくれたが、これがセルロイド産業文化の保存継承にかねてより努力されている岩井薫生氏のお目に留まり、交流が始まった。同氏の米国の知人ラウアー氏がセルロイドの単行本を出版するので協力してほしいとの依頼があり、そこで、組合で相談して組合員の商標を集めて提供した。その結果は、立派な英文の単行本として発行された(1999年に、ラウアー・ロビンソン共著の『セルロイド・コレクターズ・レファランス・アンド・ガイド』として出版された)。わが国のセルロイドのメーカーや問屋が国際的に紹介される又とない機会となり、まことに喜ばしいと思っている。

5)おわりに

セルロイド産業に半世紀以上携わってきた。現在はセルロイドを知る人も少なくなったが、セルロイド加工業は戦前から戦後の一時期まで中小企業の主要な業種の一つとして、また、雑貨の主要な輸出業として栄光の時代があった。東京の東部、とくに葛飾、荒川、足立などはそうであった。セルロイド産業の盛衰を身をもって体験してきた者の一人として、セルロイドが死語にならないように、そしてセルロイドを産業文化として将来的に是非とも継承してもらいたいと切望しています。それだけに、岩井氏が主宰されているセルロイド産業文化研究会、セルロイドハウス横浜館、そして関西での同様の活動の今後に大いに期待しております。


立川氏は、セルロイド産業文化研究会理事、元潟^チカワ代表取締役、元日本プラスチック玩具工業協同組合監事・理事、東京在住 

(以上は、2011年7月7日および8月2日、鰍cJK本社でのインタビューの概要である。聞き手・文責:平井東幸)

(2011年8月13日)






写真左から、平井東幸氏、立川信義氏、岩井館長


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