セルロイドサロン
第117回
松尾 和彦
セルロイドの価格変遷と使用用途の変遷


 セルロイドがまだ輸入中心だった頃、どれくらいの価格だったでしょうか。それを調べたのが下のグラフです。


セルロイドの価格 明治29年から大正4年まで


では国内生産が本格化するとどのようになったでしょうか。


セルロイドの価格 大正6年から昭和14年まで


 このようにセルロイド1kgのほうが米10kgよりも高かったものが次第に低下して昭和十年代ともなると逆転しています。

 支出について家賃も見てみることとしましょう。板橋区仲宿で一軒家を借りたとしたら

この表のようになります。

明治25〜31年 38銭
明治32〜39年 75銭
明治40〜大正2年 2円80銭
大正3年〜7年 5円20銭
大正8年〜11年 9円50銭
大正13年〜昭和2年 10円
昭和3年〜6年 11円50銭
昭和7年〜12年 12円
昭和13年〜 13円


では支出ではなくて収入はどのようになっているかというと給与所得者である教員の初任給と日払いが一般的だった大工の一日手間賃を見てみましょう。

教員初任給 大工一日手間賃
明治29年 5円 明治28〜29年 54銭
明治30年〜32年 8円 明治30〜35年 66銭
明治33年〜大正6年 11円 明治36〜39年 85銭
大正7年〜8年 15円 明治40〜44年 1円
大正9年〜昭和4年 45円 大正元年〜3年 1円18銭
昭和5年〜14年 50円 大正4年〜6年 1円10銭
大正7年〜8年 1円50銭
大正9年〜11年 2円92銭
大正12年〜昭和2年 3円53銭
昭和3年〜5年 3円10銭
昭和6年〜7年 2円28銭
昭和8年〜9年 2円
昭和10年〜11年 1円89銭
昭和12年〜15年 2円20銭


 これで分かることは教員の給与が一気に三倍になったり、大工が一日働いただけで一ヶ月の家賃を払うことが出来た時期があったということです。また先程の米価格ですが第一次大戦の前と後とでは三倍以上になっています。これでは米騒動も起きるはずです。その時に焼き討ちに遭った中に樟脳財閥と呼ばれた神戸の鈴木商店があったのは有名な話です。


 でセルロイドの価格ですが、計算機のように出始めの時は軽自動車と同じくらいだったのが、今では百円ショップでも取り扱っているといったような大きな変動があったわけではありません。でも他の価格や収入が変わっていますので「安くなったな」という感覚があったことでしょう。


 セルロイドが「高かった」時代の用途としては簪、笄などの髪飾り品が中心でした。鼈甲や珊瑚といった高額な材料の代用品を務めていたわけです。その頃、外国ではセルロイド人形も登場していましたが顔だけを切手大にプレスしたものでした。つまり価格が高かったために少量しか使えなかったわけです。


 そのうち国内で生産が行われるようになり「安くなって」いきます。そうすると文具、玩具、容器などの日用品が生産されるようになっていきます。そして気がつけば身の回りの品が総てセルロイドになっていたわけです。こうなるとセルロイドのない生活は考えられなかったことでしょう。現在の暮らしからプラスチックが無くなってしまうようなものです。そのプラスチックも出始めの頃には今では考えられないような高価なものでしたので、使用用途は限られたものでした。


 このように価格の変動につれて贅沢品から日用品へと使用用途が変遷していくのはセルロイドも例外ではないのです。




著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。


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