産業文化に感動
セルロイド・カンファレンス2001大阪

廣岡 孝一殿 (元(株)ナード研究所 社長)

セルロイドといえば、誰しも昔懐かしい「青い眼をしたお人形」ピンポン玉を思い浮かべられることだろう。かつて日本が世界一の生産量を誇ったセルロイドが、今は衰退し、世界で上海に1工場を残すのみとなった。では何故今セルロイドなのか。この栄光に満ちた人類最初のプラスチックが、実は材料産業に計り知れないインパクトを与えていたことを、文化として残そうという動きが、心有る人々によって始っているのである。

セルロイドの発明から130年を経た今、その歴史を残すため、昨年、高分子化学の研究会社、DJK INTERNATIONALSの岩井薫生社長(大日本樹脂研究所二代目社長)によって提唱され、関係業界のお歴々が賛同されて、「セルロイド産業文化研究会」(会長:ダイセル化学工業の甲斐学氏)が結成された。そのカンファレンス2000が東京で開催され、今年2001が大阪で開催され、同業の誼で私も招待を受け、去る10月26日に参加した次第である。

セルロイドは最初1862年にイギリスのA.Parkesが発明し、やや遅れてアメリカのHyatt兄弟も発明し、成型法や用途まで開発した。日本には1905年(明治38年)に入り、次々にメーカーが誕生していったが、1919年(大正8年)に8社が合併して、大日本セルロイド(梶jが設立されたことが日本で大発展するキッカケとなった。

以後ドンドン伸長し、1937年(昭和12年)に1万2千760トンの最高製造量(世界トップ、占有率40%)を記録している。その後大戦に入って一旦下降するが、戦後8千トンまで回復したあと、燃え易いために百貨店と映画館から締め出され、更に石油化学の興隆で新しい安価なプラスチックスが誕生して、再び下降していった。それでもピンポン球のように、他に代えられない特性があって、今も生き残り、世界のメーカーを上海に集約(ダイセル合弁)して200トン/年が維持されている。

しかしこのセルロイドは、ロールフィルムとして写真を大発展させ(ダイセルのフィルム部門が富士フィルムになった)、また多彩なプラスチックの成型技術に繋がった点で、文明と文化に対して偉大な貢献をした。

ちなみにセルロイドとは良質の木綿から作られたセルロースを硝化し、これに樟脳を練り合わせたもので、その易燃性を改良したものが、酢酸セルロースで、今も写真基材として必須の材料である。

なお、かつて日本がセルロイドで世界トップに踊り出られた陰には、台湾で豊富な樟脳が産出したことと共に、大日本セルロイドを纏められた、西宗茂二氏の功績があり、当日は、生産技術の改良にたずさわられた生き証人達の苦労話も披露された。

        


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